努力・挑戦③

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。

井上靖(いのうえ やすし)
(1907~1991・北海道) 小説家。北海道の旭川市出身だが、育ったのは静岡県である。代表作「氷壁」「闘牛」「敦煌」

最大の名誉とは倒れない事ではない。倒れても倒れても起き上がる事である。

孔子
(紀元前552~紀元前479・中国) 春秋時代の思想家、哲学者。儒教の祖。儒教は、漢の時代に国教化され、その後の中国や東アジア諸国に大きな影響を与えることになる。

あれになろうこれになろうと焦るより、富士のように黙って自分を動かないものに作りあげろ。

吉川英治
(1892~1962・神奈川県) 昭和を代表する国民的人気作家の一人。「宮本武蔵」「新平家物語」「私本太平記」は、NHK大河ドラマの原作にもなっている。馬主としても有名で、皐月賞馬(ケゴン)の他、有力馬を多数所有していた。

周りの人が求める以上のものを自分に求めなさい。

アンソニー・ロビンズ
(1960年2月29日生まれ・アメリカ) ビル・クリントン元大統領、故レーガン元大統領、投資家ジョージソロスなど世界の超VIPたちを指導してきた世界NO.1コーチ。家庭環境に恵まれなかったため、大学進学を断念。アルバイトをしながら成功哲学書や心理学の本を読み漁り、24歳の若さで億万長者となる。彼の自己啓発本は、日本でも人気が高い。

大きな山を登った後にだけ、人はさらに登るべきたくさんの山があることを見出す。

ネルソン・マンデラ
(1918~2013・南アフリカ) 10代の頃よりアパルトヘイト(有色人種隔離政策)と戦い、国家反逆罪で27年間も収監される。1990年に釈放されると、翌1991年にアフリカ民族会議(南アの政党)の議長(党首)に就任。1993年、アパルトヘイト撤廃に尽力を尽くした功績が評価され「ノーベル平和賞」を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て、同国の大統領に就任する。

初心消えかかるのを暮らしのせいにするな。駄目なことの一切を時代のせいにするな。

茨木のり子
(1926~2006・大阪府) 大阪府生まれ、愛知県育ち。主に戦時中の体験を詩に描く女流詩人。「わたしが一番きれいだったとき」は、国語の教科書にも掲載されている最も有名な詩である。3年B組金八先生の授業では、「ギラリと光るダイヤのような日」が取り上げられた。

不可能だと思わない限り人間は決して敗北しない。

デール・カーネギー
(1888~1955・アメリカ) 作家。ミズーリ州の貧しい農家に生まれる。講演会の講師としてスキルを磨き、大ベストセラー「人を動かす」を世に出す。鉄鋼王「アンドリュー・カーネギー」とも親交があるが、偶然名字が同じだけで親戚関係にはない。

下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。

小林一三(こばやし いちぞう)
(1873~1957・山梨県) 阪急電鉄グループの創業者。鉄道事業だけでなく、都市開発・流通事業まで総合的に行う「私鉄経営モデル」の原型を作った人物として有名。※下足番(げそくばん)=宿泊所などで、客の靴の管理をする人

私は、人に勝つという価値観では野球をやっていない。

イチロー
(1973年10月22日生まれ・愛知県) MLBで活躍する日本人スタープレイヤー。首位打者に輝くこと2回。「シーズン最多安打記録(262)」「10年連続200本安打」の新記録も打ち立てた。今年で41歳をむかえた彼は、過去に28人しか達成していない「通算3000本安打」の大記録に挑戦している。

ある日の真実が永遠の真実ではない。

チェ・ゲバラ
(1928~1967・アルゼンチン出身) マルクス主義革命家。カストロと共に米国の影響力が強かったバティスタ政権を倒し、キューバに社会主義政権を樹立させた。その後、キューバの国立銀行総裁に就任するなど、キューバ政府の枢軸の座に就く。しかし、「ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」との通告をソ連から受け、ゲバラはキューバを離れる。39歳の時、ボリビア革命に参加。ボリビア民族解放軍(ELN)を設立して山岳地帯でゲリラ戦を展開するが、政府軍のレンジャー大隊に捕えられ銃殺された。訪日の際は、広島にも立ち寄り、原爆死没者慰霊碑に献花している。

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。

マハトマ・ガンジー
(1869~1948・インド) インドの独立運動を指揮した人物。暴力的な民衆蜂起ではなく、「非暴力・不服従」による独立を訴えた。アメリカの黒人解放運動の指導者キング牧師にも影響を与えたと言われている。”マハトマ”は偉大なる魂という意味の尊称である。

やれなかった、やらなかった、どっちかな?

相田みつを
(1924~1991・栃木県) 詩人。書家。若いころは陽の目を見なかったが、60歳の時に出版した詩集「にんげんだもの」で世間に知られるようになる。その後、同詩集はミリオンセラーになり、1996年には相田みつお美術館が開館するが、本人亡き後のことである。シンプルな詩を、独特の書体で書きとめた作品が、人々の心を掴んだ。

Page top icon